
世間ではよく「新しい扉を開く」なんて言う。
その言葉を使うとき、人は決まって、輝かしい未来や希望に満ちた新生活を思い浮かべるものだ。
なぜだろう。
そう考えてみて、ある日気がついた。
みんなが想像しているその扉は、きっと外開きなのだ。
自分の手で力強く外へと押し開け、目の前に広がる新しい世界へ一歩を踏み出す。
だからこそ、「新しい扉を開く」という言葉は、前向きな意味で使われるのだと思う。
では、もしも。
その人生の扉が、内開きだったらどうだろう。
それは果たして、同じように前向きなことなのだろうか。
私は今、真っ白な空間にぽつんと佇む、一枚の古い木製の扉の前に立っている。
これが、私のこれからの運命を決める扉なのだと、なぜか分かっていた。
取っ手に手をかけ、いつものようにぐっと力を込めて押してみる。
けれど、扉はびくともしない。
「あ……そっか。これ、引くんだ」
手前に向かってゆっくりと取っ手を引くと、扉は音もなく内側へと開いた。
その瞬間、私は思わず一歩後ろへ下がった。
扉がこちらに向かって開いてきたからだ。
外開きの扉なら、開けた瞬間に新しい景色が飛び込んでくるはずだ。
けれど、内開きの扉を開けるということは、まず自分が一歩後ろへ下がらなければならないということだった。
扉が手前に迫ってくる分、自分が今いる場所を少し譲らなければならない。
一歩下がる。
それだけを見ると、前に進むこととは反対の動きに思える。
けれど、この扉を開くには、その一歩が必要だった。
開かれた扉の向こうに見えたのは、まばゆい新世界ではなかった。

そこにいたのは、もうひとりの私だった。
正確に言うなら、それは「過去の私」や「今の私」が、忙しい日々のどこかに置き去りにしてきた、私自身の内面だった。
ずっと無視してきた小さな傷。
本当はやりたかったこと。
心の奥底にしまい込んできた願い。
見ないふりをしてきたものたちが、扉の向こうで静かに待っていた。
内開きの扉は、外の世界へ飛び出すためのものではなかった。
自分の内側にある部屋を開き、そこに隠れていたものをもう一度迎え入れるための扉だったのだ。
手前に引いた扉の向こうから、もうひとりの私がそっと歩み出てくる。
そして、今の私とひとつに重なった。
その瞬間、なんだか身体がすうっと軽くなるのを感じた。
なるほど、と私は小さく笑う。
一歩後ろに下がり、自分の内側を覗き込むこと。
それは一見、立ち止まったり、後ろ向きになったりしているように見えるかもしれない。
けれど、自分を置き去りにしたまま外へ突っ走るよりも、こうして本当の自分を迎え入れてから進む方が、ずっと前向きなのかもしれない。
私は開かれた内開きの扉を、そっと通り抜けた。
そして、本当の意味での「新しい一歩」を、ゆっくりと踏み出した。