紐の結び方

紐の結び方
川沿いでスニーカーの靴紐を結ぶ人物の挿絵

靴紐は、輪をもう一度くぐらせてから引く。そうするとほどけない。指が勝手にそうする。いつからこうしているのか、考えたこともなかった。ずっとこうだった、というだけだ。

走るのは習慣だった。考えたくないことがある夜ほど、長く走った。スニーカーはもう何年も履いている。底のパターンはすり減って、ソールの内側に足の形がそのまま沈んでいる。雨の日も、風の日も、それを履いて走った。走っているあいだだけは、頭の中が静かになる。地面を蹴る音と、自分の息の音しか聞こえなくなる。その静けさが欲しくて、私は走っていたのだと思う。

その夜も走った。職場でのことだった。会議で名指しで責められて、言い返したい言葉はいくつもあったのに、喉の奥でつかえて出てこなかった。帰り道もずっと、言えなかった言葉が頭の中で再生されていた。あのときこう返せばよかった。そう言えば黙らせられたのに。何度も何度も、同じ場面が回り続けて、止まらなかった。だから走った。脇腹が痛くなるまで、息が喉で鳴るまで。

帰って、シャワーを浴びて、布団に入ったところで気づいた。さっきまで何度も再生されていたあの言葉が、思い出せない。誰に何を言われたんだったか。会議があったことは覚えている。悔しかったことも。けれど肝心の言葉が、輪郭だけ残して中身が抜けている。走りすぎて疲れただけだ、と思った。

ただ、ずいぶん久しぶりに、何も考えずに眠れた。胸の奥に居座っていた重しが、いつのまにか軽くなっている。理由はわからなかったけれど、その夜は、ただ楽だった。

次の日も、嫌なことがあった。電車で足を踏まれて、謝りもされなかった。小さなことだ。でも小さなことほど、夜になると棘のように刺さって抜けない。だから走った。翌朝には、それも薄れていた。誰に踏まれたのか、どの駅だったのか、思い出そうとしてもぼんやりしている。

川沿いの道を走る人物の挿絵

偶然だと思いたかった。たまたま忘れただけだ、疲れていたんだ、と。けれど三度目で、もう偶然ではなくなった。走った分だけ、消える。軽く流した日は少しだけ。苦しくなるまで追い込んだ日は、まとめて。距離と引き換えに、記憶が一枚ずつはがれていく。確かめるように、わざと嫌なことを思い浮かべてから走ってみた。翌朝、それはきれいになくなっていた。この靴だ。この靴で苦しくなるまで走ると、忘れたいものが消える。

最初は、こわかった。記憶が消えるなんて、まともなことじゃない。誰かに相談しようかとも思った。でも、誰に何を言えばいい。靴を履いて走ると嫌なことを忘れられるんです、と。笑われるか、心配されるかのどちらかだ。それに——正直に言えば、消えてくれて助かっていた。一日の終わりに走れば、その日の棘が抜ける。朝には、昨日の自分より少し身軽になっている。こんなに楽な方法を、手放せるわけがなかった。

それからは、消すために走った。

ずっと抱えていたものがあった。

子どもの頃、祖母に育てられた。両親は共働きで、家にはいつも祖母がいた。その祖母が、こわかった。何が気に障るのか、子どもの私にはわからなかった。台所で、煮えた鍋の前に立っているとき、急に声が飛んできた。手首をつかまれた。指の力が強くて、骨がきしむかと思った。痛いと言えなかった。言えば、もっと強くなる気がした。逃げると追ってきた。狭い家の中で、逃げ場なんてどこにもなかった。

湯気の立つ台所で座り込む子どもと祖母の挿絵

祖母はとうに亡くなっている。それなのに、台所に立つと今でも手首の奥がぎゅっと縮む。湯気が立つと、背中がこわばる。スーパーで似た背格好の老人を見かけただけで、足が止まる。何十年も前のことが、ふとした拍子に鮮明に蘇って、その場に立ちすくむ。何度、もうやめてくれと思ったかわからない。死んだ人に、こんなに支配されている自分が、惨めだった。

これを消せるなら。

だからこれまでのどの夜より、遠くまで走った。膝が笑って、もう一歩も動けなくなるまで。

祖母の声の高さが、まず消えた。あの、ヒステリックに張り上げる声。次に、つかまれた手首の感触が薄れた。湯気の匂いも、怒っているときの顔の角度も、走るたびに一枚ずつはがれていく。台所に立っても、もう背中はこわばらない。スーパーで老人とすれ違っても、足は止まらない。膜が一枚ずつはがれて、向こうの景色がよく見えるようになっていく。世界が、明るくなっていく。こんなに楽になるなら、もっと早くこうすればよかった。なぜもっと早く、この靴に出会わなかったんだろう。

走り込んだある夜、妙な場面が浮かんだ。

雨の日だった。私はまだ小さくて、玄関にしゃがんでいる。靴紐がほどけて、自分ではうまく結べなくて、もうすぐ家を出なきゃいけないのに結べなくて、泣きそうになっている。そこへ祖母が出てきた。私は身をすくめた。また怒鳴られると思った。けれど祖母は何も言わずに、私の前にしゃがんだ。節くれだった指が、足元で動く。二度、三度と。これならほどけないよ。低い声だった。怒っているときとは違う、聞いたことのないような低さだった。

雨上がりの玄関で祖母が子どもの靴紐を結ぶ挿絵

それだけの場面だった。怒っていない祖母を見たのは、たぶんそのときくらいだったな、と思った。

走り続けた。雨の玄関も、走るうちに薄くなった。惜しくはなかった。嫌な記憶の、ただの付属品だ。あんなにこわい人の、たった一度の出来事なんて、覚えていたところで何になる。むしろ中途半端に残っているほうが、据わりが悪い。きれいに全部、消してしまいたかった。

季節がいくつか過ぎた。

祖母のことは、ほとんど浮かばなくなった。台所のことも、手首のことも、雨の玄関のことも。思い出そうとしても輪郭がにじんで、誰のことだったのか、すぐには出てこない。祖母という人がいた、という事実だけが、遠い知識のように残っている。

フラッシュバックは、もう来なかった。台所は、ただ料理をする場所になった。夜、棘のように刺さって眠れないことも、なくなった。私は、楽になった。何年もかけて欲しかった静けさが、ようやく手に入った。

走る必要も、なくなった。割り込んでくるものが、何もなくなったから。スニーカーは、玄関の隅に置いたままになった。

久しぶりに、走らない朝が来た。出かけようとして、そのスニーカーを履いた。歩くだけなら、これでいい。

紐を結ぼうとして、手が止まった。

輪を作って、片方をくぐらせて、それで終わってしまう。もう一度くぐらせる、あのやり方を、指が探している。けれど、見つからない。何度やっても、ただの蝶々結びになる。ほどけやすい、普通の結び方に。

おかしいな、と思った。ずっとこうやって結んでいたのに。指が覚えていたはずなのに。やり直した。ゆっくり、一つずつ。指の先が、何かの形を思い出しかけて、そのまま空をつかんだ。何も、出てこなかった。

しゃがんだまま、しばらく動けなかった。

いつから、この結び方をしていたんだったか。